太宰治《秋风记》书摘 - 刹那不是任何人的罪过

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刹那不是任何人的罪过,也不是任何人的责任。这我是知道的。”我像个当家的那样双手环抱胸前,端坐在垫子上,“但对我而言,刹那也不能构成生命的喜悦。我只相信死亡之时那一刹那的纯粹。然而,这世上那些喜悦的刹那——”
“是害怕紧随喜悦之后的责任吗?”
K有点起劲儿了,小声地问道。
“实在没法收场啊。烟火只有一瞬,可肉体即便死去,却依然要以丑陋的形态残存在世上,还不知道要残存到什么时候。若是在看见美丽极光的那一刹那,肉体就随之一同燃尽,那该多好。然而事实却并非如此。”
“真没志气。”

「刹那は、誰の罪でもない。誰の責任でもない。それは判っている。」私は、旦那様のようにちゃんと座蒲団に坐って、腕組みしている。「けれども、それは、僕にとって、いのちのよろこびにはならない。死ぬる刹那の純粋だけは、信じられる。けれども、この世のよろこびの刹那は、――」
「あとの責任が、こわいの?」
Kは、小さくはしゃいでいる。
「どうにも、あとしまつができない。花火は一瞬でも、肉体は、死にもせず、ぶざまにいつまでも残っているからね。美しい極光を見た刹那に、肉体も、ともに燃えてあとかたもなく焼失してしまえば、たすかるのだが、そうもいかない。」
「意気地がないのね。」

太宰治《秋风记》,何青鹏译
收录于《关于爱与美》
现代出版社

精彩点评:
Guan_Xiao_关小:恐怕这也部分说出了他的心声吧,对于人性 自己里的恶看得一清二楚,如正午太阳下躺在荒原中的石头,无处遁形,虽然可以面对,共同存活,但依然解决不了,扔不掉忘不了,如影随形……同芥川一样,到最后唯一能够删除的办法只有同归于尽。何其遗憾。若我们不知道业性本空,那到底也是万劫不复

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